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Channel: Eiji's Essays
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みずき会に寄せて

2004年1月に横浜山手を描く小さな集いとしてYY会が発足しました。私が前年9月に出展した「チャーチル会ヨコハマ」の絵画展で作品を見た数名の女性から、「こういう透き通った風景画が描きたい。是非指導して欲しい」と懇望されました。人様にお教えするほどのものではないとお断わりしたのですが、それでもと請われて、ではフリースケッチでも・・・と云って元町公園でスタートしたのが、現在の「みずき会」の生い立ちです。...

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第3回みずき会 作品集

こんな時期に単なるアマチュアクラブが展覧会を開いてどうなのか。被災地で辛い日々を重ねておられる方々に顔向けが出来るのか。お客様は来てくださるのか。余震への安全性は大丈夫だろうか。等反問することは少なくありませんでした。...

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人生色々こぼれ話 (1) ~社会人一年生

人生色々こぼれ話(1)「社会人1年生」娘や孫に促されて、越し方を振り返りこぼれ話を綴ることにした。もうそろそろ思いつくことを書き留めておかないと、記憶が霞んでは間に合わないとの思惑かもしれない。然し確かに後世に残す大事な作業の一つかなと思うようになった。出てくる話は僅か半世紀強の時系でしかないのに、そこには激動の時代背景が重なり、今の世の中からは想像の出来ない自由闊達で、情緒的、貧乏でも温かく人情に...

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人生色々こぼれ話 (2) ~少年時代①~

人生色々こぼれ話(2)「少年時代」・・・①私は13歳(小6の1学期)まで九州の炭鉱町で過ごした。“三池炭鉱に月が出た”で有名になった黒ダイヤの街である。石炭産業の衰退と共に戦後は見る影もなくなった大牟田の町もその頃は活気に満ちあふれ、好況に沸き返っていた。父は関東大震災の1923年に大学を卒業、三井鉱山に就職し翌24年に結婚してこの炭鉱町に赴任したことになる。T女学館を出て間もない新婚の母は“良かお...

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人生色々こぼれ話(3)少年時代②

人生色々こぼれ話(3)少年時代・・・②九州の夏はとにかく暑い。海水浴が楽しく、前出の宮本馬車で母に連れられよく出かけた。ところが有明海は干満の差が激しく、引き潮とになったと思うと瞬く間に干潟となり、海水浴から潮干狩りに場面転換である。海辺は小魚や貝のお祭りである。ムツゴロウ、しゃこ、はぜ、かに、アサリ、赤貝、蛤・・・・採りたい放題で、この方が泳ぎよりよほど面白い。そして海の家でカキ氷を食べ夏休みの一...

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なでしこは日本を変えた

なでしこは日本を変えた今この時に、神風が吹いたような戦いぶりとその爽やかな笑顔に日本中が沸きかえっている。日本は沈没の淵から再起できるかもしれない。なでしこは河原や野に咲く可憐な花だけど、踏まれても蹴られても挫けない信念の花だということが分かった。「諦めない」「負ける気がしなかった」平然と言って憚らない彼女達の強い心と高い技術に感動し、感涙した。正直に言って延長前半の終盤に、あのワンバックという名手...

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人生色々こぼれ話 (4)少年時代 ③

人生色々こぼれ話(4)少年時代・・・③うさぎ狩りという年中行事があった。朝5時に校庭に集まり幾つかの集団に分かれてそれぞれ野山に入る。集団は網を張って獲物を待つ組と、うさぎを追い立てる勢子に分かれる。朝まだきの、うさぎが寝ぼけているところを急襲するのだが、ことごとく取り逃がしてしまい戦果なしのご帰還である。ところがお母さん達が作ったうさぎの炊き込みご飯が空腹の私たちを待っていた。何も捕れなかったのに...

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人生こぼれ話 (5) 少年時代 ④

人生色々こぼれ話(5)少年時代④前号で早世した兄のことに少し触れたが、私を含め3兄弟は、激動の80年程を生き抜いて皆元気で今もそれなりに活躍している。弟達を簡略にご紹介します。上の弟の正雄はかってNHKスポーツアナウンサーとしてその名を馳せた。相撲以外の殆んどのジャンルをこなした。オリンピック実況11回の実績を持ち1987年には『全米スポーツキャスター協会賞』の特別賞を日本のスポーツアナウンサーとし...

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人生色々こぼれ話(6) 少年時代⑤

人生色々こぼれ話(6)少年時代・・・⑤父の趣味は写真であるが、自宅で暗室を設置し現像、焼付け、引き伸しまですべて自作でやっていた。私も興味があり、父の作業がある日は、そばで見学やら手伝いをさせてもらった。特に写真の定着工程は私の守備範囲だった。カメラは1935年版のドイツ製「ローライコード」であった。6×6cm、二眼レフはしりの名機である。父は人物をモチーフとする構成が好きで、妻を含めて近くの奥様方...

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人生色々こぼれ話 (7)〜 東京へ

人生色々こぼれ話(7)東京へ九州での少年時代の思い出話はまだ尽きない。然し前6話でもう大牟田を発ち東京に向かったのでもっと書きたい想いを敢えて断ち切り、舞台を東京に移すこととする。関門海峡(当時は未だ関門トンネルは開通していない)を連絡船で渡り、下関から特急「さくら」で20時間ほどの長旅を終えて、初めて降り立った東京第一歩の地は品川駅であった。これが大東京かと思えるほどの、そこには静かな落ち着いた雰...

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人生色々こぼれ話(8) 〜開戦そして進学

人生色々こぼれ話(8)開戦そして進学その年昭和16年12月8日、真珠湾への奇襲で日本は太平洋戦争に突入した。あたりは次第に戦時色に包まれてきた。4月に尋常小学校は国民学校に呼称が変わり新教科書にが制定された。そうだその意気♪とか...

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人生こぼれ話 (9)東京大空襲

人生色々こぼれ話(9)東京大空襲中学の制服はカーキ色(当時防空色と呼んでいた)で学帽は戦闘帽、そして登校、下校時には巻き脚絆の出で立ちである。女学生もセーラー服にもんぺの戦時姿に変わっていった。当時我が家は駒込にあり、JR(省線電車)山手線で恵比寿まで通学していた。何しろ途中に池袋、新宿、渋谷があるので帰路の途中下車はしばしばであった。家の近くに日枝神社があり何かと集い合う格好の広場であった。母の相...

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人生色々こぼれ話(10) 終戦

人生色々こぼれ話(10)終戦20年3月10日にB29、110機による東京の下町を焼き尽くす大空襲があり、10万人が殉じた。4月には米軍が沖縄本島に上陸した。5月25日には東京山手地域への猛爆が続いた。私たちは当時高輪の本家に住んでいたが、五反田方面からの火の手が迫り、遂にその時が来たと観念した。従兄のSは家が焼失しても「世界文学全集」を残したいというので、これを持ち出す作業が大変だった。何しろ重いの...

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人生色々こぼれ話(11) 〜戦後の始まり

人生色々こぼれ話(11)...

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人生色々こぼれ話(12) ~進駐軍がやってきた

人生色々こぼれ話(12)進駐軍がやってきた1945年(昭和20年)8月、日本はポツダム宣言により連合国に軍事占領されることとなった。主として米軍による占領組織として進駐軍と呼ばれるおびただしい数の軍隊がやってきた。...

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人生色々こぼれ話(13) ジャズ、シネマ、ラッキー・ストライク

人生色々こぼれ話(13)ジャズ、シネマ、ラッキー・ストライクある雑誌に投稿した一文(1997年)がある。前編と重なる部分があるが、いわば青春のプレイバックとしてその一節を復刻してみる。『荒れ果てた東京にアメリカはガムやコーラと共にエキサイティングな文化を次々と持ち込んできた。私はラッキー・ストライクにむせ返り、ハリウッド女優のポートレート集めにうつつを抜かしていた。洋画のカルチャーショツクは強烈であ...

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人生色々こぼれ話(14) 〜戦後の闇市文化

人生色々こぼれ話(14)戦後の闇市文化戦後の貧困と飢餓の裏側に闇市の跋扈(ばっこ)があった。戦争に負けても人々の食べる為の生存競争は熾烈を極めた。名ばかりの配給品は遅配、欠配でとても飢えを凌げるわけがない。住む家を失い衣食住共に極度の窮乏状態にあった。そこに駅前広場や盛り場に闇市が出現し、一種の戦後風物となった。横流し、盗品、密造品,進駐軍の残飯などの食料品を始め鍋、釜の日用品までところ狭しと立ち並...

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人生色々こぼれ話(15) ~青春の門

人生色々こぼれ話(15)青春の門終戦から2年経った1948年(昭和23年3月)に私は都立青山中学(現青山高校)を卒業した。振り返れば中学生活の大半は戦争体験であった。ペンを置き学徒動員に駆り立てられた日々も今の時代では決して味あうことのできない辛いけど、貴重な経験となった。大空襲の戦火を浴びながらも、生と死の危機を免れ、軍隊にこそ属さなかったけど、衣食住の貧しさを考えると、それ以上の過酷な洗礼を受け...

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人生色々こぼれ話(16) 〜青春の門②

人生色々こぼれ話(16)青春の門②激動の時代体験は続く。衣食住の窮乏の中で、画期的な幸運が舞い込んだ。住む家もなく仮住まいで高輪、辻堂を転々とする中で、母が抽選で都営住宅(賃貸)を引き当てた。新大久保から徒歩10分、旧陸軍の学校や演習場跡地の一角に建坪僅か9坪ではあるが新居を確保した。住所は新宿戸山町43番地である。敷地だけは100坪を越す広大なものだった。ここで私たち兄弟の新しい歴史が始まる。今思...

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人生色々こぼれ話 (17)〜再び少年時代に

人生色々こぼれ話(17)再び少年時代にジャズピアニストでエッセイスト...

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